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皆さん、こんにちは、化学の始まりは台所から、どうもキッチンです。
今回、久しぶりに記事を書こうと思ったのは、高専の友人から相談を受けたためです。
今回の相談を受けて、自分が高専5年のときに体験した経験が初めて人の役立ったと実感できました。
もしかしたら、他にも救える人がいるかも知れないと思い、記事を書くことを決めました。
体験談の部分がかなりの文量になっていますが、対処方法と教訓の説得力が上がると思いましたので、ありのままを書きました。
大切な教訓は赤字で示しているので、その部分だけでも見ていただけたら幸いです。
見ていただく前に伝えておきたいことが一つあります。
「同じ経験をした人でなければ、辛い経験は共感することができない」です。
今、下記の内容を読んで何も思わなかったから、あなたは追い込まれていません。
安心して毎日を過ごしてください。
1. ストレスで何もできなくなる以前の自分
はじめにストレスで何もできなくなる以前の私についてお話していきます。
長男として生まれ、小さい頃から良い子であろうと意識し、怒られるのを避けるように生きてきました。
もちろん、人に歯向かうことなど出来ませんでした。
中学、高専の部活動でも縦社会のような厳しい環境を経験しなかった私は真面目でひ弱なメンタルを持った青年となりました。
失敗を知らず、追い込まれる経験がなかったため、常に自分に完璧を求めていました。
毎日、勉強すると決めたら、一度でも出来ない日があると自分を責めました。
当時の自分は完璧を求めているだなんて思わず「これが当たり前なんだ、できないとダメなやつなんだ」と思っていました。
そんな私に初めての挫折が降りかかりました。
高専5年の卒業研究と受験です。
2. 胃が痛くなり、まともに食事すらできなくなったとき
先程、挫折の原因が卒業研究と受験であると言いました。
正確に言うなら挫折を経験した時点で、受験には成功しています。
ですが受験に時間を使ったために、卒業研究に割く時間が取れず、自分を追い込むことになりました。
2-1. 私が追い込まれた卒業研究
当時は有機合成を行い、得られた試料から物性を測り、デバイスへの応用の可能性を調べる研究をしていました。
私が追い込まれた原因は上記の試料です。
受験期も含めた約半年間をかけて合成した試料が、最後の反応で必要量の約5%程度しか得られず「このままでは単位が貰えず卒業ができない」、「中間発表で出すはずのデータも得られない」と絶望しました。
その日、家に帰ると卒研の不安で頭がいっぱいで、食事が喉が通らなくなっていました。
「胃が痛い」、「病気以外でまともに食事ができないことなんて初めてだ」と自分に起きている状況もまともに受け入れることが出来ませんでした。
今まで大抵の悩みは寝て起きれば気にならなくなっていたため、その日の翌日もいつも通りだろうと思い、床に付きました。
しかし、現実は悲痛でした。翌日も食事がまともに取れないのです。母が明らかに手が進んでいない私を見て「調子でも悪いの?」と心配してくれました。
ですが、私は「ううん、お腹へってないだけ」と嘘を付きました。
普段から人に迷惑をかけないことを常に考えている私は、母の差し伸べてくれた救いの手を拒んだのです。
今思えば、このときに全て話してしまえば、もう少し楽にその後を過ごせていたのかもしれません。
次の日も研究室に行くと、昨日突きつけられた現実が待っていました。
担当の教授に相談しに行くと「もう予備はないのか」と聞かれ、「はい、ほとんど原料は残っていません」と答えました。
教授も少し考えた後、ある量でなんとかしようということで方針が決まりました。
しかし、わずかに得られた試料では測定用のフィルムが作成できても、必ず測定できるとは限りません。
再び私を「データが得られなかったらどうしよう」、「卒業できなかったらどうしよう」という不安が襲いました。
同じような環境で周りで笑って過ごしている友人たちが信じられませんでした。
「お前らの研究は順調なのか?不安は無いのか?」。私はそのように考えるようになっていました。
その日も帰って夕食を食べようとしますが、食事喉を通りません。流石にまずいと思い、母に相談しました。
今までそのようなことが私には無かったため、母も流石に驚いたようでした。
「あまり無理しなくて良いんだよ」と言ってくれました。しかし、研究について知る由もない母の言葉は、私の不安に対して無力でした。
母とは別に、教授にも自分の現状を素直にメールにて伝え、翌日面談をしようということが決まりました。
いざ面談を行うと、教授からは「君の扱ってる反応は難しいから出来なくても心配しなくて良い」、「短期間でもデータが取れる実験も用意してある」と言ってもらいました。
少し気持ちは楽になりましたが、期待されている自分が答えられていないことで自分を責めてしまったのです。
しまいには「将来もこんな苦しい研究を仕事にするのか」、「自分は向いてないんじゃないか」と思うようになりました。
3. 乗り越えるまでの苦労と今の自分
追い込まれた私は「このまま線路に降りたら」などと考えるまでに至っていました。
しかし、意外なことをきっかけに救われることになります。
3-1. 家庭教師先で立ち直るきっかけを得る
当時、家庭教師のバイトをしていました。担当のご家庭はお子さんも素直で、お母さんも話をよく聞いてくれる良い方でした。
追い込まれたときの週末のバイトで、研究の話をした私は帰りの車で不安が消えていることに気づきました。
「なんで?」と自分でも不思議な気持ちでした。この経験である貴重な教訓を得ました。
「相談相手は自分に近い人間ではダメなんだ」ということです。
正確には「追い込まれたときに近い存在ではいけない」ということです。母や教授、彼女、友人にも相談しましたが、どれも全く入ってこない。
しかし、家庭教師先のお母さんには抵抗なく話せた。そして、励ましの言葉をすんなり受け入れられました。
私のように強がってしまったり、変なところでプライドが高い人間は身近な人に素直になれません。でも自分のことをよく知らない第三者には、全くもって抵抗なく話をできるのです。
心理カウンセラーが職業として成り立つのも納得できます。
親元を離れて暮らしている学生や社会人ならば、親御さんの言葉が響くことでしょう。
これと同時に私は「人に話すことの重要性」も知りました。
自分の中で溜め込むのではなく、誰かと問題を共有することです。
ただ聞いてもらうだけでも、気持ちは楽になります。
心理カウンセラーが良く言うこととして「相談者の悩みの答えは、自身の中ですでに出ている。私達はそれをひきだすだけだ」というものがあります。
救われた経験があるからこそ、この言葉の深さを実感することが出来ます。
3-2. 本を読むことで得られるものを知った
家庭教師先で立ち直るきっかけをもらった数日後、文房具を買うために書店を訪れました。
そこで見かけた本のタイトルはどれも自分に足りないものを示しており、とても魅力的に目に映りました。
卒業研究で朝10時から午後9時まで研究室にいるような生活が続いていた私は、時間不足に悩んでいました。
「なにか作業を効率的に方法は無いか」、「少ない時間でも睡眠の質を高めることができないか」このように考え、測定の合間時間に読書を始めることを決めました。
小学生の頃から読書嫌いだった私が、毎晩読書をするようになるきっかけはこの出来事でした。
当時読んでいた本は次のようなものです。
どちらの本も、私にとって新しい価値観の与えてくれました。
友人や先生の言葉は全く心に響かない私にも、本の内容は素直に受け入れることが出来ました。
知っている人の言葉は、話した人に対して余計なバイアスがかかります。
そのせいで素直に受け入れることが出来ませんでした。
時間術の本では「時間はある、無いと自分が錯覚しているだけ」、睡眠の本では「長時間眠るだけが正しい睡眠ではない」などが私の常識を覆されたことでした。
また、読書をしている間は本の内容に集中でき、現実世界の悩みを一時的に忘れられます。
読書は幸福度を最も高める行動であるという研究結果もあるそうです。
今思うと、読書に巡り会えたのはとても良い経験でした。
ぜひ皆さんも、書店で見かけた魅力的にタイトルの本を手にとって見てみてください。
3-3. 考えるのは良いが、悩んではいけない
最後に、私が時間をかけて気づいたことをご紹介します。
それはタイトルの通り「考えるのは良いが、悩んではいけない」です。
一見すると矛盾するような言葉ですが「考える」と「悩む」では全く意味が異なります。
考えるとは目的に対する手段を得る思考のことです。
買い物に来て「今日は鍋をするから、何を買ったら良いかな?」これは考えるに当てはまります。
一方、家で「会社のPCに入ってる未完成のプレゼン資料どうしよう」と思うことは、悩むに該当します。
現状では何も出来ないことで頭をいっぱいにすることが悩むです。
当時の私は足りない試料のことで悩んでいました。四六時中、その事を考えて自分を追い込んでいたのです。
家でそんなことを考えても何も解決しません。
メリハリが大事と言いますが、全くもってその通りです。
「仕事のことは会社でしか考えない」と言っていた父の言葉も、大切な教訓だったのだと今は思います。
その後、卒業研究をなんとか乗り越えて私は高専を卒業しました。
当時の担任が卒業を控えたある日のホームルームで「なんでみんな最初から卒研が上手くいくと思ってるんだろうね」と呟いているのを聞いて、「それさ、もっと早く言ってよ~」って思いました笑
人間は予測できないことには対処出来ませんが、予測さえ出来ていれば冷静に行動できるものです。
【最後に】
今思えば、なぜあんなに悩んでいたんだろうと思ってしまいます。
でも当時の自分には、自分を客観的に見ることなど出来ませんでした。
自分を客観的に見る助けをしてくれるのが「相談」や「読書」であったと思います。
私はこれらに気づくのに辛い経験を一度しました。
もし以前の私のように悩んでいる人がいるなら、その方の助けになれたら幸いです。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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